カールスモーキー石井こと石井竜也は老舗和菓子屋の息子だった!でも継がないで歌手になった。

ごきげんよう、おんとらです。

やたらと二枚目(イケメン)で。

芸術的な才能が溢れちゃって。

そのくせ何考えてるのかわからないシュールな会話術で。

気取らないないのは良いけど、
どこかすっとボケてる。

本音は別にありそうな。

それでいて知性みたいなものもにじませちゃってる。

あ~、この人もてるんだろうなぁ~。

若いころのカールスモーキー石井さんを見た時の印象です。

はい。

カールスモーキー石井・石井 竜也プロフィル

石井 竜也(いしい たつや) 本名同じ

1959年9月22日(58)

茨城県北茨城市出身

175cm O型

文化学院美術家

ミュージシャン・芸術家・プロデューサーなど

「米米クラブ」では「カールスモーキー石井」

石井 竜也の実家は由緒ある和菓子屋さん

茨城県は北茨城市大津町。

1世紀近くに渡って営業を続ける和菓店、
「石井屋」(地元では石井製菓の呼び名が多いそう)の長男として生を受ける。

絵を描くことが好きだった父親(←和菓子職人)の勧めで、3際頃より油絵を習うように。

ただのお稽古事にとどまらず、本人の才能も開花。

和菓子屋を継ぐこともなく、画家になる為に東京へ。

一方の和菓子屋「石井製菓」は父の代で店をたたむことに。

そりゃそうです、跡取り東京行っちゃいましたから。

和菓子屋ののれんを下した後は「アートサロンギャラリー石井屋」として店舗を再利用。

息子の作品を展示、営業をしていたそう。

しかしながらそのお店(実家)も、
東北大震災によって全壊してしまいました。

この時、先代の父上はすでに他界。

母上が健在だったもののしばらく連絡が取れず、安否が心配されたそうですが。

避難所に逃げて居たため難を逃れています。

現在は妹さんのところに身を寄せているそうです。

和菓子屋さんの息子さんだったのですね。

石井さんの繊細な感じは、
あるいは職人の血筋からきているのでしょうか。

なんて当たり前すぎて、そんなことはないでしょう。

ただ、ただ絵の才能だけは間違いなかったようです。

家業を継がなかった石井 竜也は歌手になった

和菓子屋を継がず、画家を志して上京した石井竜也氏は、
カールスモーキー石井になったのです。

画家になるため東京学芸大学を目指すも残念ながら、、、、
そこで文化学院へ進学。

絵の才能は相変わらずだったようですが、当時の仲間たちとバンドを結成。

音楽活動に傾倒していったようです。

伝説のバンド米米クラブですね。

(米は*のつもりらしい。石井氏本人が当時の音楽番組で言っていたような。
でもちょっと嘘くさいw でも嘘くさかったけど事実でした、も彼ららしいかも。)

とにかくメンバーが多いバンドです。

ヴォーカルを務めるカールスモーキー石井の抜群歌唱力と、
賑やかすぎるパフォーマンスで、人気を得ていきます。

曲もキャッチーでノリのよいものばかり。

曲作りのイニシアチブはもちろん。
ライブの演出やらジャケットデザイン。
メンバーの顔に施すメイク(ペイント?)なども石井氏がほぼ手掛けていました。

天才ですか、この人。

とにかくエンターテインメント分野では、その才覚をいかんなく発揮してきた石井氏。

映画監督にもトライしたものの、興行的にはちょっと残念だったみたいですが。

それでも、あれです。

河童のデザインは斬新でいかにもカールスモーキーでしたよね!

僕はあのカッパ、大好きなんですけど。

まとめ

同級生で米米クラブの大ファンがいました。

男ですけど。

当時はまだまだ知名度もそれほど高くなかった米米クラブです。

そのバンド名を聞いたときも、「変な名前だな」なんて言ってましたから。

ファンだった彼。僕にそう言われて、ちょっと気分を害してました。

まさかその後あの「浪漫飛行」で大ブレイクするとは。

しかも浪漫飛行。ちょっと前の曲じゃん、てね。

CMの力凄いです。

そしてマイナーだった頃から米米クラブを激推ししていた同級生君。

君の発掘スキルもすごかったw

今更だけどゴメンな!!

それではこの辺で、また。

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