ごきげんよう、おんとらです。
最初にネタを見た時に大笑いしてしまったのが、
芸人の柳原可奈子さん。
店員さんのあるあるネタコント。
面白かったです、本当に。
しかもネタの間ずっと面白かった記憶があります。
中ダルみしなかったと言うことですよね。
天才かと思いましたよ。
柳原可奈子さん。
でも最近、テレビであんまり見ない?
そんなことない?
柳原 可奈子プロフィル
柳原 可奈子(やなぎはら かなこ) 本名同じ
1986年2月3日
東京都中野区出身
153cm B型
東京アナウンス学院卒
同期 オリエンタルラジオ はんにゃ フルーツポンチなど
柳原 可奈子と父と母と
1986年にこの世に生を受けた女の子は可奈子と名付けられました。
寿司職人のお父さんとお母さんとの3人家族。
一人っ子の可奈子ちゃんはたいそう可愛がられたことでしょう。
その証拠に可奈子ちゃん。
赤ん坊のころに「赤ちゃんモデル」として人気を博します。
ウチの娘はこんなに可愛いと、ご両親がもっとみんなに見て欲しいと思ったのかな?
お母さん連れられてモデルの仕事をしていた可奈子ちゃん。
ところがそのお母さんは可奈子ちゃんが19歳の時に、
一人旅立ってしまいます。
ガンだったと言われています。
病気であったと言う事は突然ではなく、
闘病しているお母さんを見守っていたと言う事です。
とても悲しい出来事です。
これは誰にも必ず訪れる別れの話。
それでも残された二人、父「清」と娘「可奈子」は健気に生き抜きます。
父娘でありながら可奈子さんはお父さんを「清」と呼んでいました。
これは二人が強く、優しい絆で結ばれていた証左。
周囲も二人の仲が良かったことを明かしていました。
寿司職人だった「清」お父さん。
料理はお手の物だったでしょう。
それでも二人になってからは娘が手伝ってくれると、
周囲に話しては喜んでいたそうです。
ところがそんな二人にまたしても残酷な別れが訪れました。
2013年の事です。
元々糖尿病を患っていたと言う「清」お父さん。
脳卒中で倒れ、最愛の「可奈子」さんを残し、
旅立ってしまいました。
糖尿病のもたらす弊害。
血管が弱っていたのでしょうか。
父娘の二人。
お母さんが亡くなって、それこそ間もなく。
可奈子さんは一人になってしまいました。
その後、テレビで見かけなくなります。
心労もあります。当たり前です。
失う悲しさを形容するのはなんとも言葉足らずで難しいものです。
それでもいよいよ「可奈子」は仕事に復帰します。
この間、だれの目にも明らかに痩せて見えました。
でもそれは乗り越えようとする過渡期にすぎません。
彼女の仕事は大勢を笑わせる事です。
柳原可奈子はネタとトーク力との、実力で人気を手にした芸人さん。
お父さん、お母さんの自慢の一人娘。
優しい両親い育てられて、心根の優しい娘に成長した可奈子さん。
次は芸人としての本領を発揮するターンなのです。
顔もしらなければ名も知らない。
そんな大勢が、彼女の作り出す笑いに救われる日が続きますよ。
柳原 可奈子は奇跡の体型!
ぽっちゃり体型で可愛いらしい柳原可奈子さん。
「丸々ぽっちゃりなのに胸がない奇跡の体型ですからw」
とは本人談。
なんと柳原さんの胸カップは・・・・
Aカップ!!!
であります。
素晴らしい。
ガッカリしてはいけないのです。
柳原さん、一時ダイエットが上手くいってお痩せになりました。
ほっそりして、更に可愛くなったと評判でしたが。
きっとカップ数も落ちてしまっていたかもしれません。
でもやはりガッカリしてはいけないのです。
だって柳原可奈子の体型は「奇跡」なのですから!!
奇跡にガッカリなんておかしな話でしょうに。
まとめ
学生時代には、学校帰りに渋谷の109に立ち寄るなどしていたそう。
そんな折に見かける店員の立ち居振る舞いが、
後の彼女の代表的なネタとなって活かされています。
他にもコンビニの店員だったり。
誰にも身近で、確かに見かけると納得させる演技力。
それになにより良く見てるな~の観察力。
単純なあるあるネタでも高クオリティなコントに仕上げるさまこそ、
柳原可奈子の真骨頂ではないでしょうか。
理屈抜きで面白いと言うねw
器用な芸人さんだと思います。
またそうでなくては一線で活躍できないですよね。
そりゃそうだ。
大変な半生でも、それを乗り越えて、
これからも大笑いを生み出して欲しいです。
それではこの辺で、また。
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